建築

土浦の離れ⑤

少しずつ進んできた土浦の離れの工事。

床の下地が終わり次からメインイベントとも言うべき壁塗り作業がはじまります。漆喰を塗りたいのですが壁を左官で綺麗に仕上げるのは至難の業なので、ある程度練習をしてから塗りの工程に入りたいと思います。

塗りの工程と同時進行で床の仕上げ材の発注、そして建具屋さんと電気屋さんに入ってもらう段取りをしなくてはいけません。

しかし解体から設計・施工までやるとなると結構しんどい。技術的にも出来ないと出来るの境界線が曖昧のために作業も練習しながらなので時間が読めない。職人さんの凄さを改めて痛感する日々です。そしていつもお世話になっている工務店さんのスケジュール管理の凄さにも感服するばかり。

建築を作るとき本当に多くの方に支えてもらっている事を感じます。

 

自分で設計して自分で作ることは、設計士としての理想の一つではないかと思います。

今、本当に贅沢な時間を過ごしています。

もう一回やれと言われたら少し考えるけど。

 

断熱材の上に気密シートと気密テープを施工。これで空気の流入を防ぎます。

 

床下地の工事もあと少し。

 

 

 

土浦の離れ④

土浦の離れの工事が少しづつ進んできました。

床の解体が終わり、新しい根太を設置して、これから断熱材をその間に入れていきます。まだまだ完成には程遠いですが、徐々に形になっていくのは楽しいものです。 少しずつですが丁寧に工事・作業を進めていきたいと思っています。

床解体後、新しい根太一本目。


古いものに新しい根太の共演。マウンティング。


少しずつ現場の感じが出てきました。


作業台の上はいつも整理整頓!


大工さんの凄さを痛いほど感じる。

 


 
 
 
  

長野の建築 4日目。

今日の行程

開智学校~えんぱーく~諏訪大社(四社)~藤森照信建築群(神長官守矢資料館・高過庵・空飛ぶ泥舟・低過庵(当時ワークショップにて建設中))

最終日は帰りも含め、時間があまり無いので7時半にホテルを出て、松本市内にある開智学校を見に行く。予定の関係上開館時間前だったので中は見れない。小学校の時に先生からもらった写真に写っていた日本で最初の学校とは違って新しく修復されており、イメージしていた素朴な学校ではなかった。保存というのはすごく難しい。

松本城を横目に眺めながら塩尻へ向かう。次は塩尻市にあるえんぱーくへ。実を言うとここはあまり期待をしていなかったのだけれど、それを大きく裏切られることに。まずはすごく使われ方が良い。これは単にきれいに使うという意味でなくて、ここを使う市民が自分の気に入りの場所を見つけ思い思いに使っているという点が素晴らしいという意味。

ここでは構造でもあり、空間構成の重要な存在でもある壁柱が存在感をはなっている。この壁柱を最大限活かし、柱では生まれない空間が機能と構造そして市民の要求に対して見事に答えている。えんぺーくのコンセプトは “人工の森” だったと記憶しているけれど、まさにその通りで要求されている機能を壁柱が隠しながら、離しながら、うまくつなげている。そしてこの森は少し迷うけれどもヘンゼルとグレーテルが残してくれたような記号があるので、目的地にたどり着けるようにできている優しい森だ。

 

えんぱーく①

えんぱーく② 壁柱が隠し、つなぐ。

 

内部には長野県内の市内の方向が書かれていて、長野の街の中にある都市の中の森という意味もあるのかもしれない。加えてフリースペース以外の稼働率も高かったように感じる、これも設計段階でのワークショップにより市民の意見が反映された結果なのだろう。また下部の公共と上部の賃貸スペースがしっかり別れているのも市民が気兼ねなくスペースを使う上でとても重要な役割を果たしている。

 

壁柱が生み出す木漏れ日あふれる森は訪れてみないとわからない部分が多いと思う。写真では伝わらない部分が多く、空間の広がりと外部と内部の関係がゆったりとしているすごく良い空間と建築だった。また再訪したい。

さて塩尻をあとに次は諏訪へ。

岡谷を抜けて諏訪大社四社巡りへ。諏訪大社は本宮・前宮・春宮・秋宮の四社から成り立っていて今回はその全てを回ることに。車って本当にありがたい。車が社会構造さえも変えてしまったことをこういうところから納得したりする。

 

諏訪大社 秋宮

 

諏訪大社はそれぞれの宮ごとに特色はあり、荘厳であるが地域の中に溶け込んでいる。それぞれの宮の四隅に御柱が立っており、それが御柱祭で運ばれてくるというなにか人々の信仰が厚く地域にとって諏訪大社がどれだけ大切な存在かを感じられる。歴史というのはそれ単体では成り立たなくて、周りの環境と人とが関係していないと築いていけない。時間と関係。これが必要なんだと考える四社巡りに。

 

いたるところで水が綺麗。

 

旅の最後は建築史家 藤森照信氏の建築を見に行くことに。

まずは諏訪大社の近くにある神長官守矢資料館へ。そこの館長さんの説明でこの近くに高過庵・空飛ぶ泥舟・低過庵(当時ワークショップにて建設中)があると教えてもらう(資料館の窓から見れる)。同じ市内にあることは知っていたけれどこんな近くあるとは。

聞くと藤森さんはこの地域の生まれで高過庵・空飛ぶ泥舟・低過庵があるのは藤森さんの土地だそうだ。長年こんな建物はどんな人が頼むんだろうと不思議に思っていた謎が解ける。

神長官守矢資料館はそこまで広くないが、奥に行くと狭くなっていく内部と自然素材でできた外部仕上げから新しい洞窟に入っていくようなワクワク感がある。今まで味わったことのない感覚だったかもしれない。実体験はとても大事だ。

高過庵・空飛ぶ泥舟・低過庵(当時ワークショップにて建設中)をその後に見て回る。資料館から坂を上がって2~3分。低過庵を作るワークショップが開催中で、資料館の館長に藤森教授に会えるかもよと言われていたが、違う場所で作業中だったようでお会い出来なかったけれど、現場の関係者の方に許可を得て写真と見学をさせて頂くことに。写真を取っていろいろ見ていたら、関係者の方のご厚意で中に入らせていただくことに。建設中の内部を見れる貴重な機会を頂けたのは四社巡りのご利益だろうか。ありがたい。もう低過庵は完成したようで再訪したい。

 

神長官守矢資料館 入館料100円 周りの植栽も面白い。

 

高過庵 設計:藤森照信 このアングルが好きだ。

 

高過庵とワークショップにて建設中の低過庵。

 

諏訪大社では車椅子のおばあさんを楽しくお参りさせようとするご家族に写真を撮っただけですごくお礼を言ってもらえたり、建築家のご兄弟を持つ方とお話できたり、茨城県に友人がいる方と資料館で出会ってお話したりと良い人達との面白い出会いがたくさんあった長野建築巡り。また再訪したい場所が増える事はいい事だ。

帰りは渋滞にハマったが、建築を色々見て熱が上がった頭の中を整理するにはすごくいい時間だった。

これにて長野建築巡りは終わり。

 

長野の建築 1日目。小諸美術館へ。

結婚式に列席するために長野に行くことになったので、せっかくなので周辺の建築を見に行こうと計画を練っているとふと建築家の戸室太一さんから教えていただいた小諸美術館を思いだす。
長野県小諸市にある小山敬三画伯の作品を収蔵する美術館であり、村野藤吾氏の代表作でもある。小諸は結婚式が行われる軽井沢よりからも近いので、前乗りをして見に行くことに。

茨城から電車で上野に、それから新幹線で軽井沢へ。久しぶりの新幹線、乗り鉄の自分にとっては嬉しい移動の時間だ。
軽井沢につくと曇り空。少し肌寒い、避暑地に来たなと肌で感じる。前に来た時よりもアウトレットモールのせいか賑わっているように思える。
そこからしなの鉄道に乗って小諸駅へ。

駅から美術館への道の途中、有名な蕎麦屋さんで食事。変わりそばを頼んだが普通のもりそばにしておけば良かったと思う。
そして小諸美術館へ。

戸室太一さんのおすすめということもあり、否応なしに期待が膨らむ反面少し心配だった。それは自分自身モダニズム建築(この建築は違うが)に時たまある、なんというか古い屋根裏に行ったときのような独特の古い香りが苦手なのだ。それは長居できない理由にもなりえるので、ゆっくり訪れたい場合大きな障壁になる。

しかしそれは全くの杞憂に終わることに。

 

建物は千曲川を見下ろす丘陵地帯の上に立つ。これは画伯の要望であったらしい。小規模であるので小山敬三画伯の自邸(移築)を見ても1時間程度あれば満喫できる。

しかしその滞在時間以上に内部の連続性が生み出す空間の変化がすごい。エントランス・第一展示室及び休憩室の一部は村野藤吾氏の設計だが、第二展示室に関しては息子さんによる増築らしく、窓の考えた方と空間の広がり方が全く違う。(1975年築、その15年後に増築)

今回は村野藤吾氏の設計部分に関して。

美術館の入り口は庭園の奥にあり、斜面をそのまま活かしている建物である。エントランスは低く抑えられてなんとも素朴で落ち着いた空間で、そこからまた低く抑えられたい廊下を抜けた先に休憩スペースがあり、そこで受付をする。第一展示室はそのすぐ脇。その第一展示室以外は主な展示はない。

その展示室は斜面を活かした空間で天井中央部が大きくたわんだような設計になっている。その天井と入口から下りていくような斜面の床が空間に広がりと変化を与えている。また室内を移動していくと様々な部分に(壁のくぼみや屈曲部・壁に挟まれた場所に)窓が隠れており室内には柔らかい光が届いている。それは同時に作品に日光が当たらないようにできており、その変化がとても面白い。一からこの窓を考えつくかなと思案してみるが多分難しいだろう、でもここで出会えたので良かった。

様々な窓からの光・その光を運ぶ曲がった壁そしてそれを包むたわんだ天井がのびやかな空間を生み出し、画伯の骨太な作品を包み込んでいた。そして展示室の作品を見て回って振り返ると今まで移動してきた時の感覚と違う空間が広がっており、斜面という連続性の中にいろんな変化が存在している。それは光の変化や水平でない天井が生み出しているものだと思う。

シンプルな空間であっても壁・天井・窓の配置など本当に考えられていて画伯の作品と緻密に計算された作品が人に感動を与えるという考え方・気韻生動の考え方と呼応している、そんな印象。

館内では図面も見れるので、それを見ながら職員さんにいろいろとお話を伺う。みなさんすごく親切で良い方ばかり。増築前の名残や冷暖房に関する悩み(結露など)や窓と作品の事や画伯のお嬢様が現在の建築に対する要望など、職員さんでないとわからないお話聞く事ができた。窓からの日射・熱に関しての問題は増築された第二展示室の方が多いよう。形は似たような作り方をしているがちょっと美術館としてはまずいのではと疑問を抱く部分もあったのでやはりそうかと。

外観は木々に囲まれた穏やかな庭園の中に白い緩やかに曲がった壁と斜面から徐々に反り上がるような形をしている。また特徴的な窓が様々な場所にあるのでぐるりと見て回るのも面白い。またこんなところにガーゴイル?と思っていたら屋根に見えているのは庇のような部分で陸屋根のパラペットの上に乗せられているものだった。屋根のボリュームはなくしながらも、特徴的な外観と外壁の維持を目的にしているのだろうか。

 

木々の中に特徴的な外観。ガーゴイルが可愛いしえんじ色の屋根というか庇もキュート。

 

色なんな所に変わった窓。見ていて楽しい。

 

小さな建物だけど長文が書けるほどの美術館であることがすごい。そしてまず何にせよ画伯の作品が見事で、次は周りの景色などをゆっくり楽しみながら再訪してみたいと思う。その時は今の印象と違うものが感じられそう。そして写真でわからない建築の空間を実際に体験することの重要性を改めて感じさせてくれた建物でもあった。

帰路ではいろいろ空間について考えて頭に熱を帯びていた。

 

浅草へ。

先日大学時代からの友人たちと3人で浅草へ。

意外と近い浅草ですが、何かいつでも行けるという感覚があった為かこの日が初めて。

インテリアの勉強も兼ねて浅草のカフェを回りながら、浅草観光センター・仲見世通り・浅草寺・ホッピー通りと一通り満喫してきました。

ランチはシエロイリオさん。(蔵前駅近く)

浅草という場所は複数の駅からアクセスでき、歩いているだけでわかりやすい日本がある場所でした。日本人にとっても賑やかで楽しい反面、やはり外国人観光客向けに日本というイメージをわかりやすくしたものに溢れて少し物足りなさを感じる部分もあります。それを否定するつもりはありませんが、昨今外国人観光客の人達が日本の離島やディープな場所を目指している意味が浅草に来るとわかります。わかりやすいものだけでは駄目だと突きつけられている、その現状がここにある気がします。

休憩はSUKE6 DINERさん(浅草・隅田川沿い)

いろいろ考えてしまいますが、それはさておき歩き回って疲れたら隅田川沿いのカフェに入って一休み・お寺も回れる楽しい場所であるということは間違いありません。